投資家 / オープンエデュケーション株式会社代表取締役

紫垣 英昭/HIDEAKI SHIGAKI

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1964年大阪生まれ。甲子園出場経験者。大学卒業後、証券会社に勤務し、事業法人、金融法人営業、自己売買部門を担当。

証券会社退職後、株式投資をはじめ、 日経225先物、FX等の売買指導を行い、個人投資家から絶大なる信頼を得ている。証券会社時代に培ったスキルを投資初心者でも理解できるよう売買指導を行い、今では3000人以上の受講生を抱え、「真に自立できる個人投資家」を輩出するために積極的に活動している。

著書に『初心者でもがっぽり儲かる大化け「低位株」投資法』(幻冬舎)『億を稼ぐ投資法則』(ユウメディア)『少額資金で儲ける株ゴー ルデンルール』(ユウメディア)がある。

講演実績

■2003年〜2005年

  • 「雄も教えなかった株式投資のコツ」(2003年3月)
  • 「REITの具体的な投資法」(2003年S月)
  • 「株式 長期投資のススメ」(2003年7月)
  • 「ネットを使ったデイトレード手法」(2003年10月)
  • 「ネットを使ったデイトレード手法」(2003年12月)
  • 「2004年の株式投資観測」(2004年2月)
  • 「にれからの資産運用とは<<自主年金>>のすすめ」 (2004年6月)
  • 「トレーダーという仕事」(2004年7月)
  • 「トレーダーズクラブセミナー」(2004年9月)
  • 「中央銀行の金融政策について、ワークショップ」(2004年11月)
  • 「HSマーケットコンセンサスの見方」(2005年2月)
  • 「トレーダーズクラブフォーキャスト」(2005年4月)
  • 「第1回トレーダーズクラブプレミアムサミット」 (2005年12月)

■2006年〜2007年

  • 「『億を稼ぐ株投資法則』出版記念セミナー東京」 (2006年1月)
  • 「『億を稼ぐ株投資法則』出版記念セミナー大阪 (2006年2月)
  • 「第2回トレーダーズクラブプレミアムサミット」 (2006年4月)
  • 「2006年後半の投資戦略東京」(2006年6月)
  • 「2006年後半の投資戦略大阪」(2006年6月)
  • 「トレーダーズクラブ2006年後半の投資戦略」 (2006年7月}
  • 「第3回トレーダーズクラブプレミアムサミット」 (2006年11月)
  • 「2007年の株式投資戦路東京」(2007年1月)
  • 「2007年の株式投資戦略大阪」(2007年1月)
  • 「『小額資金で儲ける株ゴールデンルール』 出版記念セミナー東京」(2007年8月)
  • 「『小額資金で儲ける株ゴールデンルール』 出版記念セミナー大阪」(2007年8月)
  • 「第4回トレーダーズクラブフレミアムサミット」 (2007年11月)
  • 「成功する投資家になるための、売買ルール構築法」 (2007年12月)

■2012年〜現在

  • 「株リッチ・プロジェクト会員向けセミナー大阪」 (2012年6月)
  • 「株リッチ・プロジェクト会員向けセミナー東京」 (2012年7月)
  • 「2013年の株式投資を成功させるための”投資戦略会議”大阪」(2012年10月)
  • 「2013年の株式投資を成功させるための投資戦略会議”東京」(2012年10月)
  • 「FXトレーダーのための短期売買戦略構築法」 (2012年1月)
  • 「源太 株バトル」(2012年12月)
  • 「2013年の株式投資を成功させるための”投資戦略会議”福岡」(2013年1月)
  • 「2013年後半の投資戦略会議(2013年7月)
  • 「投資戦略会議 春の全国セミナーツアー」(2014年3月)
  • 「投資戦略会議 秋の全国セミナーツアー」(2014年10月)
  • 「Bloamberg ヘッジファンドセミナー」(2014年12月)
  • 「Bloamberg ヘッジファンドセミナー」(2015年10月)

1.真に自立した投資家を育成する

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はじめまして。紫垣 英明(しがき ひであき)と申します。

現在、私は「真に自立した投資家を育成する」ことを目的に、個人投資家に向けて、投資に関する教育を提供しています。

元々、私は証券会社に13年勤務しており、その中で学んだ著名な投資家の投資ノウハウを生かして独立し、自分自身で投資を続けながら、証券新報社のコラムを4年間連載するなど、個人投資家への投資の情報発信していました。

その活動が徐々に社会的にも認められて、大阪府知事からの要請で、中小企業金融制度施策の金融新戦略検討委員会の委員にも就任しました。

そしてその後、個人投資家への教育事業を本格的に展開し、今まで3000人以上を指導してきました。

著書も『初心者でもがっぽり儲かる 大化け「低位株」投資法』 (幻冬舎 2015.12/12)『小額資金で儲ける株ゴールデンルール』(ユウメディア 2006.10/4)『億を稼ぐ株投資法則』 (ユウメディア 2005.12/26)と、3冊出版してきました。

私が投資教育の目標としている「真に自立した投資家」とは、投資力、戦略的思考力、決断力、行動力、復活力の5つの力を兼ね備えた投資家のことです。

投資の世界において、この5つの力さえ兼ね備えておけば、時代がどれだけ変化しても、経済的な自由や時間的な自由を確保し、自分の人生の時間を、自分の長年抱いていた夢や目標に使っていくことができるようになります。

かくいう私自身も、投資の世界に25年以上身を置く中で、数々の失敗も挫折も繰り返してきました。

そんな投資の酸いも甘いも知り尽くした、私が歩んできたストーリーには、「なぜ、この5つの力が必要なのか」ということがわかるようになると思うので、以下で、ご紹介したいと思いますので、興味があれば、ご覧ください。

2.「人が喜ぶこと、人が幸せになることをやれ!」

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私の今の活動のすべては、この恩師からもらった言葉が原点になっています。

私は約25年以上、相場の世界で生きてきました。私自身やいろんな人の浮き沈みから、「株式投資で儲けることは簡単ですよ!」といった甘い言葉は口が裂けても言えません。

この世界は、やっぱり自ら努力して、自分に負荷をかけて努力をしないと、なかなか上手くいかないのが現実です。

基本を学ぶ局面と、スキルを身に付ける局面は、”力づく”で突破するしかないんです。

それこそが私がこの世界で身に付けた「投資の流儀」です。

「人が喜ぶことをしろ!人が幸せになることをやれ!」この言葉が、今の私の“原点”であり、一人の人間としての生き方、在り方の“根本”となっています。

なぜなら、この「言葉」によって、私の命が救われたからです。

3.石橋は叩いて渡るのではなく、飛び越えるもの

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「英昭、何事も石橋を叩いて渡るくらい、慎重に行動しないとダメだ!」

私の父はとても慎重かつ、根っからの“昔気質”の人だったようで、とにかく、「まじめに会社に勤めをしていれば、一生喰っていける。」

「突飛な行動は慎み、何事も慎重に行動した方が良い。」というのが、父からの教えでした。

父の実家は商売をしていて、裕福だったものの、先の大戦によって商売が傾き、かなり苦労を強いられたようです。

そんな経験からか、常に「石橋を叩いて渡れ」とよく言い聞かされていました。

でも私は、誰に似たのか分かりませんが、思い立ったらすぐ行動してしまう性格で、父もそんな私を見ていて、「コイツは危なっかしい」と思っていたのだと思います。

私はそんな父に向かって「親父、石橋を叩いていたら、崩れて落ちてしまう。石橋は叩いて渡るのではなく、力をつけて飛び越えるものだ!」なんて、今から思えば、偉そうなことをいっていたのを鮮明に覚えています。

後に、父の言葉を噛みしめることになるのですが、このときは知る由もありません。私は、またも自分の考えを即、行動に移してしまうのでした。

4.目的を達成させるための戦略的思考

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父は大の野球好きで、巨人ファンという、典型的な団塊の世代のオヤジでした。

その影響もあり、私の子供時代、父とキャッチボールをするのが、とても楽しい時間になっていました。

私は子供のころから、運動神経もそこそこ良く、地肩が強かったのも幸いして、小学生の時、地域の少年野球チームでは、「速い球を投げる投手」として、少しだけですが、知られる存在となっていたようです。

そして中学に上がり、当然のように野球部に入部します。

中学1年生の時、ほぼ毎日10キロの走り込みをして、授業中は机の下で、1キログラムの鉄球を使って、1日2000回のノルマを自分に課して、手首を鍛えました。

そして中学2年生から、投手として試合に出場することも増えていき、新チームからは、エースピッチャーを任されることになります。

そうなれば次に考えることは、何かと言えば、高校に進学し、“甲子園出場”を果たすことです。

私が所属していた中学校の野球部は、その地区では強かったものの、大阪全体で見れば、圧倒的という存在ではありません。

事実、中学3年時の大阪府の大会では、残念ながら、本大会まで勝ち上がることができませんでした。

当時、私はこう考えたのです。「俺の力では、大阪の高校に進学してもメンバーに入ることができないかも知れない。

だったら、甲子園に近い他府県の高校に野球留学するしかない…」これが、私が出した答えでした。

このとき、なぜか自分の力を冷静に考えることができたのです。”甲子園出場”という目的を達成するために、稚拙ながらも“戦略的思考”が芽生えた瞬間でした。

そこで私が白羽の矢を立てたのが、滋賀県の比叡山高校でした。

実は、私が高校に上がる年度から、夏の甲子園大会は、「1県1校制」に制度変更が行なわれることになっていました。

それまで、比叡山高校は、県大会で優勝するものの、甲子園の切符を賭けた「京滋大会」で、京都の優勝校にいつも負けて、なかなか夏の全国大会に出場することが阻まれてきました。

しかし、「1県1校制」になれば、滋賀県内では一番、甲子園に近い高校であることは、まぎれもない事実でした。

私は「石橋を飛び越えてやる」という意気込みで、比叡山への進学を“決断”しました。

思い立ったらすぐ行動してしまう性格が、発揮された瞬間でした。

5.決断こそが障害を突破する力になる

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しかし、私が住む大阪から、滋賀県の高校に進学することとなれば、当然、通うことは難しく、高校の寮に入寮することになります。

私の実家はごく一般的なサラリーマン家庭なので、それほど裕福ということではなかったので、滋賀県の高校に進学することを両親は当初、反対でした。

私学で、寮生活となると、それだけ両親の経済的負担がかかります。

私もそれを分かっていたのですが、どうしても”甲子園出場”という目標を達成するには、比叡山高校に行くしかないと思い込んでいたので、反対されたからといって、簡単に引き下がるわけにはいきません。

これまで貯めてきた貯金を両親に差出し、同時に甲子園に出場することを、その場で約束したのです。無謀ですが…笑。

両親はしばらく黙っていましたが、一歩も引き下がらない私の姿勢をみて、しぶしぶ比叡山への進学を許してくれたのです。

そして翌年、無事に高校に進学することができ、3年間、必死で練習したおかげで、3年生のとき、念願の甲子園出場を果たし、ベスト8まで勝ち進みました。

甲子園大会が終わって自宅に帰ってみたら、今では考えられないくらい大きなビデオデッキが、テレビの上に置いてありました。父から、「良く頑張ったな」と、いってもらえたのが嬉しかったですね。

6.相場の世界に足を踏み入れる

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東京の大学に進み、大学を卒業後、東京の証券会社に入社します。

特に相場の世界に憧れていたわけではありませんでしたが、なんとなく、入社してしまったわけです。

当時、日本経済は飛ぶ鳥を落とす勢いで、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というタイトルの本が売れ、今では考えられないような“バブル景気”に沸いている時代だったので、このときのエネルギーはすごいものがありました。

まあそんな時代でしたから、証券会社はとてもエキサイティングな職場でした。

最初に個人営業で支店に配属され、その後、本店に籍を移し、事業法人、金融法人の営業部に配属になります。

仕事を一生懸命こなし、社内での表彰も受けたことがありましたが、「何かが違うな…」と漠然とした思いが頭をよぎります。

証券会社は、客を儲けさせるところのはずが、ほぼすべてのお客さんは、損をしていたからです。

バブルの頂点に向かう過程では、まだよかったものの、バブル崩壊などもあって、お客さんに奨める株はすべて暴落。

毎月、募集物(投資信託)販売のノルマに追われる日々が続きましたが、ほぼすべての投資信託は軒並み基準価格を割り込みます。

出社前も、自宅に帰ってきても、常に「俺はいったい、何をしているんだろう…」という思いを抱えながら、お客さんのところを回っていました。

あまりのストレスのせいで、「胃潰瘍」になり、「不眠症」になり、「円形脱毛症」にもなりました。それくらい自分の仕事に”極度のストレス”を抱えていたのです。

7.トレーディング部署へ配属

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そして、以前から希望を出していた、トレーディングの部署に配属が決まったのです。

このときは、嬉しかったですね。花形部署ですから。

当時、証券会社のトレーディング室は、いわゆる「徒弟制度」で、先輩社員は、仕事を教えてくれるどころか、口も満足にきいてくれません。「技術はお前が盗め」ということです。

朝は、7時には出社して、海外市場の状況を確認し、そして、その日の東京市場のシナリオを考えます。

私は、オーバーナイトポジションを持たない、日計り(デイトレード)専門のディーラーでしたので、その日のポジションは、当日にすべて手仕舞いします。

当時はまだ証券取引所が完全システム化ではなく、「場立ち」や「フロア・トレーダー」がいた時代で、ディーラー筋しか入手できない情報などもあり、比較的、稼ぎやすい環境にありました。

まあ、インターネットもない時代なので、一般投資家は今と違い、板情報も見ることができず、業者に圧倒的な優位性があったので、当然と言えば当然ですね。

証券ディーラーという経験から「決断力」を磨くことができたように思います。後に、この経験が、私の「命」を救うことになります。

8.順風満帆な独立へ

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1990年代後半、日本の金融の世界は大きな転換期を迎えることになります。

当時の橋本政権が打ち出した、金融制度改革、いわゆる”金融のビッグバン”です。

この改革によって、外為法や、市場環境の規制緩和が大きく進むことから、我々にとって、大きなビジネスチャンスが到来することになったのです。

私はこの規制緩和を大きなチャンスと考え、独立に向け動き出しました。勤めている会社を辞めるわけですから、私にとっては、高校進学以来の大きな”決断”となりました。

当然、両親にはまたも反対されます苦笑。

しかし、一度言い出したら聞かない私の性格を分かっているので、今回も私が押し切る形で独立に向け準備を進めることになります。父からは、「石橋を叩いて渡れ」といつもの言葉をもらいました。

新会社の業務は、これまでの自身の経験を生かし、個人投資家向けに株式取引の情報提供業務を行うことにしました。

これまで、証券会社というところで、”会社の利益”を優先して業務を行っていたことを反省材料にし、これからは「とにかく、顧客の利益を最優先する」という思いを強く持っていました。

自分の信念を貫くため、会社設立後は、執筆、講演活動をこなし、また、大阪府知事の委員要請を受け、半年間、行政の仕事をさせていただきました。

インターネット配信業務も軌道に乗り、書籍の出版、新聞、雑誌の連載や、多額の運用益など会社運営は、順風満帆でした。

9.投資の世界に潜む悪魔

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しかし、「悪魔」は確実に私に忍び寄ってきます。

いや、むしろ私が「悪魔」を誘き寄せてしまったのかも知れません。

順風満帆だと思えた会社経営は、あっという間に”崩壊”してしまったのです。

会社の借入金を某社に運用を委託していたのですが、その委託先が吹っ飛んだのです。

レバレッジをかけて運用していたことが災いし、資金繰りが悪化。会社資金は一気にショートし、2008年2月、倒産に追い込まれます。

私の“慢心と油断”が生んだ結果でした。

急場しのぎに自己資金を会社に入れますが、焼け石に水。約8年間、一所懸命に経営していた会社を潰し、仕事も、財産も、信用もすべてを失い、もう完全に精神がブッ壊れてしまいました。

勤めていた証券会社”手数料至上主義”に反旗を翻し、“個人投資家のため”のサービスを行ってきたはずが、いつしか、自らの利益を優先し、証券会社時代に犯した間違いを、再び繰り返してしまっていたのです。

このとき、「石橋は叩いて渡れ」という父の言葉を泣きながら噛みしめていました。もしかしたら父は、こういうことが起こることを予見していたのかもしれません。

すべてを失った私は、資金を借りていた先25人の債権者のところに自ら出向き、約2か月をかけて土下座をして回りました。

財布の中には”550円”しかありません。謝罪した日の帰り道、電車のホームで気が遠くなるような感覚になりました。

「いっそ、死んでしまおうか…」私は無意識の中、電車のホームギリギリに立っていたらしく、入線してきた電車の警告音のけたたましい響きに、我に返りました。

私は思わず、その場に倒れ込み、泣き崩れたのを今でも覚えています。

後日、私の恩師(現在、弊社の顧問弁護士)に、そんな話をしたとき、恩師から言われたのが、冒頭の「人が喜ぶことをしろ!人が幸せになることをやれ!」という言葉でした。

この”言葉”に私は、頭をハンマーで殴られるくらいの衝撃を受け大泣きします。そして私は、“株式市場で再起する”という、もっとも過酷な道を選択する決断をします。

10.株式市場への再起を目指して

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しかし、「再起」といっても、全てを失った私には、茨の道です。

大きなマイナスからのスタートは、想像を絶するほど困難を極めました。

経済的、精神的障害が、私の目の前に、大きな”壁”となって、私の行く手を、すべて塞いでいきます。

まさに”八方塞がり”状態に陥りました。

心は焦るばかりです。「この状態から抜け出すにはどうすればいいのか…」と、毎日、真剣に考え抜きました。

私がこのとき出した答えは「とにかく、暇な時間をなくして、アルバイトをして1円でも多く稼ぐ」ということでした。

とにかく再起のために、1円でも多く稼ぐことに集中すること。

そうして今までとは違う環境に身を置いたことで、ネガティブな考えも徐々に薄れていき、新しい友人もでき、精神的にずいぶん楽になっていきました。

このときの目的は「もう一度、株式市場で再起すること」ですので、とにかく軍資金を確保しなくてはなりません。

「再起」への軍資金の額を100万円に目標を定め、とにかく必死で働きました。

アルバイトから帰ってきて、ヘトヘトになりながら、株式市場、為替市場、先物市場、その他、私がいままで培ってきた売買のノウハウに照らし合わせ、毎日、チェックする日々が続き、過去行なってきた3500回以上の取引を検証し直しました。

しかし、限られた時間の中での検証作業だったため、開始当初は、膨大な量の検証作業は難航します。

取引のひとつひとつの相場の環境、情報元、エントリーの判断理由、そして、当時の自分の考え、決済までの過程など、丁寧に記憶を辿り、ひとつひとつ、答えを出していったのです。

しかし、作業がなかなか進まず、時間ばかりが過ぎていく中、私は、焦りを感じていました。

「本当に、この検証作業は意味があるのだろうか…」「何もアイデアが出なければ、どうすればいいのか…」膨大な資料を目の前にして、自分自身と格闘する日々が過ぎていきます。

そしてやっとの思いで得た現金100万円を保証金にして、倒産から約10か月後の2009年1月、株式市場への”復活”を果たしました。

11.すべてを失っても復活できる

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前年に起こった、リーマン・ショック直後ということもあり、かなり神経を使いましたが、パニック的な売りの後は、戻すケースが多いという検証結果を得ていましたので、スタートするには、良い環境だったと思います。

1年ぶりに株式市場に復帰し、順調に勝ち続け、半年後には資金を約2倍にしたのです。

久しぶりに復帰した結果としては、十分な成果でした。

そして、すべてを失ってから1年で”完全復活”し、再起を果たしたのです。

そして増えた資金を使って、私の経験、知識、スキルを一般個人投資家に役立ててもらおうと、インターネットを使った株式投資のオンライン・スクールを行なうため、2010年10月に新会社を設立し、業務を開始しました。

今では、3000名を超える規模まで拡大し、多くの受講生は、株式投資で良好な結果を得ていただいています。

中には、億単位の収益を上げた受講生もいらっしゃいます。

私も受講生に株式投資の手法を指導する傍ら、一人の個人投資家として売買を行い、良好なパフォーマンスを継続させ、今では、受講生さんとともに、海外の不動産投資、海外での事業を展開する準備を実行に移すまでに成長させていただきました。

何度も申し上げますが、私の”命”を救い、私の“エネルギー”になっているのが、「人が喜ぶことをしろ! 人が幸せになることをやれ!」という言葉です。

今の私のすべての源であり、根本は、この言葉から始まっているのです。

もし仮に、あなたが、現在、厳しい環境にあったとしても、八方塞がりだと感じているとしても、「もう、だめだ!」と、あきらめないでください。

人間、厳しい環境に置かれたとき、どんどん、視野が狭まります。もっと周りを見渡せば、その環境を突破できる方法があるのに、狭い視野で考えるあまり、突破できないことがたくさんあるのです。

人間の「脳」は、ある”決断”を下した時、思考も行動も、すべてが“決断した方向に向いて動き出します。そのことは、私が実際に経験しています。

だから、絶対にあきらめてはなりません。

人間が考える目標は、”本気”になって事を起せば、大抵のことは、実現可能なものばかりなのです。このことに、早く、気付いてほしいと思います。

12.正しいことをする投資家には、莫大な褒美を与えてくれる

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これまで私の半生をお話してきました。私の”七転び八起き”劇場、楽しんでいただけたでしょうか。長々と私の半生をお伝えしたのには、もちろん理由があります。

それは、明確な夢や目標をしっかり持ち、それを実現させるためのプラン、売買ルールを作り、他人の情報などに依存することなく、勉強、検証を常に行い、資金管理を怠らず、決して、あきらめないこと。

私は自分の半生を通じて、このような姿勢を持てる「真の自立した投資家」をどんどん創出していくことを一番の目的にしています。

私が常日頃、受講生にお伝えしていることは「他人に依存してはいけません」「自分の頭で考え行動する」「これまでと、違う結果を得たいのであれば、行動そのものを変える必要がある」ということです。

これまで、たくさんの個人投資家が、株式市場で莫大な資金を失くしてきました。

その大半は、証券会社や、投資顧問の言いなりに売買していたり、株式投資の勉強をしていなかったり、リスク管理が甘くなっていたり、個人投資家の行動そのものに、問題が起因していたと思います。

しかも、30年前も、100年前も、現在もほとんどその行動に変化はありません。

ということは、「思考」と「行動」を変えない限り、個人投資家が株式市場で結果を残すことは、ほぼ不可能ということになってしまいます。

しかし、株式投資における、正しい知識、正しい経験を積み重ねさえすれば、株式投資で、間違いなく良い結果を導き出せるのです。

それは、私の半生と、現在の状況がすべてを証明してくれています。

株式投資は、あなたの“夢や目標を実現”するための、とても有力な手段です。何度潰れても、株式市場はいつでも受け入れてくれ、正しいことをする投資家には、莫大な褒美を与えてくれるのです。

13.重要なのはノウハウなんかではない

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「重要なのはノウハウなんかではない」とお伝えしましたが、誤解の無いようにいうなら、いくらノウハウだけを学んでも、投資家としての姿勢や資質、管理能力などが無ければ、ほとんど役に立たないということです。

書籍、インターネットなどで、株式投資のノウハウは、山のように紹介されています。

しかしながら、それらで上手くいったという話は、ほとんど聞きません。

それはある意味当然で、いくらノウハウだけを学んでも、それを使う投資家本人の姿勢や資質、管理能力スキルが無ければ、ケガをするだけなのです。

たとえば、二人の投資家に同じ投資手法を指導して、実際に売買をやってもらった場合、絶対に同じ結果にはなりません。ほとんどのケースで、どちらかがプラスで、もう一方はマイナスという結果になると思います。

では、この両者の差はいったい何なのでしょうか?

それが、「投資家としての姿勢や資質、管理能力の差」なのです。よって私が言いたいのは「ノウハウは重要、でもノウハウだけを追い求めても、上手くいかない」ということなのです。

だから、「真の自立した投資家」に必要なのは、投資力だけではなくて、戦略的思考力、決断力、行動力、復活力も必要なのです。

では、あなたが望む未来を手に入れるために、どうやってこれらのスキルを学べば良いのでしょうか?

インターネットなどで検索すれば無数の情報がヒットします。でも、どれが信頼できる情報なのか判断に迷うことでしょう。

そもそもその情報の出し手が、どんな人間なのか分からないですね。

なので、「もっとも重要なのは、誰から学ぶのか」ということなのです。株式投資を学ぶのですから、実績のない人からは学びたくないですよね。

「ちゃんと金融機関に勤務経験があるのか」「株式取引の実績があるのか」「行政の仕事経験があるのか(行政の仕事は変な人は絶対にできない)」「その人が教えている人が、しっかり結果を出しているのか」「本名を出しているのか(本名が出せないのは何か問題がある証拠)」「講演実績がある人なのか」「出版経験があるのか」「ちゃんとした事務所を持っているのか」などなど、これら、その人がやってきたことを、しっかり確認すべきでしょう。

ちなみに私は、すべて当てはまります。あなたもぜひ、これらを参考に信頼できる指導者を見つけていただきたいと思います。

14.なぜ、投資を教える仕事をしているのか?

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それと大事な話をもうひとつさせてください。

「なぜこういった、人に教えることを仕事にしているか?」についてお話しますね。

たまに、こういった質問をいただくことがあります。「売買で儲ければいいのに、どうして、わざわざこんなことをするの?」ハッキリ言って、自分の資金で売買やっている方が効率的に儲かることは事実です。

でも、「自分だけが儲けたところで、誰も感謝してくれないし、生産的ではない」ということに気付いたのです。

仮に今日1日売買して、50万円儲かるとしましょう。「あ~、今日もそこそこ儲かったな」これで終わりです。また、同じように明日が来るだけです。

でも、これを誰かに教えて、その人がいくらかの利益を得たらどうなるでしょう?

その人から、間違いなく、このような言葉をいただけます。「ありがとう」 って。

この時点で、私とその人の“2人”が幸せになれるんです。

私は、「ありがとう」っていう言葉をもらったとき、心から喜べる自分に気付きました。

最初は、一人の「ありがとう」から始まりましたが、この言葉をいただいたときの感激をもっともっと味わいたいと思い、たくさんの個人投資家のスキルアップのために活動し、現在では、3000名以上の方から、「ありがとう」をいただくまでになりました。

一人で売買していたら、誰からも感謝されませんが、「人に教える」ことを始めたことで、3000人以上の人から感謝されるのです。

どちらの生き方をしたいかと聞かれれば、私は当然、たくさんの人と関わりをもって、たくさんの人から”感謝される生き方”をしたいと思っています。

私の利益なんて、そんなものは後回しで良いんです。

15.私が死ぬまでに実現したいこと

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すでに時代は大きく変わろうとしています。

これは世界経済の変化や、産業の移り変わり、国同士の”パワーバランス”を見ても明らかです。

時代が変わってきているのに、そのままの考えで言い訳がありません。私たちも、良い方向に変わっていかなければ取り残されてしまうだけなのです。

もう国に頼っていては、生きて行くことも難しい時代に入ってきていることは、誰の目で見ても明らかでしょう。

日本は現在、人口減少、財政問題などを抱えています。

これは長期的にみて日本の株式市場にとっては、ネガティブな要因として、常に意識されることになるでしょう。

福島の震災以降、時代は一気に変わりました。

「他人を出し抜いてでも、自分が豊かになれば良い」といった”古い価値観”は終焉しています。

私は、これからの“時代”に求められる個人投資家像を、以下のように定義付けしています。

志を同じくした仲間とともに、大切な人を守り、国に貢献する個人投資家。そして、仲間の定義は、カネの力で繋がっている関係ではなく、志で繋がっている関係のこと。

こんな投資家仲間と人生を最後まで過ごせたら、とても幸せだと思うのです。

このことを私たちは、「ニッポン人投資家が復活すれば、ニッポン経済は必ず復活する」という言葉に、思いを込めました。

ニッポン人投資家が力を付けることで、日本経済が良い循環を起こし、日本人全体がハッピーになる!これこそが、私が死ぬまでに実現したいことです。

そして私は、今いる3000名以上の受講生や、あなたと、人生の夢や目標を共有して、たくさんの仲間と共に、「大切な人」を幸せにし、そして、「ニッポン」という国に貢献したいと考えています。

あなたは最近、誰かに自分の夢を語ったことはありますか? 自分の人生、生き方について、真剣に考えてみたことはありますか? 幸せにしたい誰かを幸せにできていますか?

だから、一緒に未来への一歩を、踏み出してみませんか?

その第一歩として、私はメールマガジンで、投資に関する無料の講座を開いています。興味がある方は、ぜひこちらから登録してみてください。

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